てんてこ手帖

てんてこまいな日々の中で見つけた、小さな気づきや学びを綴っています。 くらし、心とことば、仕事、病気のこと。

入院生活のちょっとイラっと記録

12日振りの更新になってしまいました。

仕事に遊びに、どうしても記事を書く時間をうまく捻出できません。

もっと時間をうまく使えるようになりたいものです。

 

ここ最近はずっと手術や入院のことばかりで、少し重たい内容が続いていました。

なので今日は、入院生活の中でイラっとしたことを書いていこうと思います。

 

【同室患者さん編】

●消灯時間を守らない

気持ちはとってもわかります。

21時消灯は、正直早い。私も眠れずにスマホをいじっている日もありました。

ただ、テレビは消してほしかった。

それも大体23自近くまで付けっぱなしだったので、目をつむっていても画面のチカチカが気になって、ますます眠れなくなってしまいました。

なぜか毎度の入院で一人はこのタイプの人がいる謎……。

 

●ずーっと文句を言っている

看護師さんへの不満、病院食への不満、テレビの内容への不満。

カーテン越しに聞こえてくる「終わりのない独り言」に、こちらのメンタルがじわじわと削られていきます。

 

●共有スペースをきれいに使わない

びちゃびちゃの洗面台、髪の毛がいたる所に落ちているシャワー室、流されていないトイレ。

気が付かない時もあるし、忘れてしまうこともある。

あるけど……、自分だけのスペースではないので、お互いにもう少し気遣いができるといいなと思います。

 

【医療従事者編(医師、看護師、看護助手など)】

●「あとで」が長い

「あとで持ってきます」「あとで確認して伝えます」

たくさんの「あとで」。

患者は私一人ではないし、忙しいのも理解してる。

それでも、あまりに何度も続くと、やっぱりイラっとしてしまいます。

病室ならまだいいのですが、術後の検査のため車いすで診察室に向かい、「診察が終わった頃に迎えに来ますね」と言われ……待てど暮らせど来ない。

急いで連れていかれたこともあり、スマホも何も持っていない状態でけっきょく20分ほど待ちました。

 

●ときどき感じる「その目」

時々感じる、あの「うーん…?」という目。  

「おおげさ」「そんなことで」「甘えすぎ」みたいなニュアンスが、ほんのり混ざっている気がします。

でも言いたい。

あなた達はたくさんの患者さんを見てきたかもしれない。

けれど、“実際に自分で経験したことはないでしょ……!”と。

術後すぐ、食欲もないのに「食べないと体力が」と促される辛さ。

何をしなくてもズキズキする痛み。

ちょっとした変化で不安になる気持ち。

わかってもらえなくても仕方ないと思いつつ、心の中では「体験してから言ってくれ!」と叫んでいました。

 

入院している時は、痛みや不安でいっぱいいっぱいで、ほんの少しの言葉や表情にも普段以上に敏感になっていたんだと思います。

入院生活は、治療だけじゃなくて、こういう些細なことにも意外と体力を使うんだなと改めて感じました。

肺動脈弁置換手術を受けた日のこと<後編・退院までの記録>

現在、ゴールデンウイーク真っ只中ですね。

我が家は遠出する予定はなく、家族で近場に出かけたり、子どものお友達のお家にお邪魔したり、穏やかに過ごしています。

 

さて、前回は術後目覚めてからICUで過ごした時のことを書きました。

今回は、その続き――一般病棟に戻り退院するまでのことを、思い出しながら書いていこうと思います。

※注)医療に関する内容は私個人の解釈と認識です。実際の意味合いと異なる場合がありますのでご了承ください。

 

(前回の記事はこちらから)

肺動脈弁置換手術を受けた日のこと<中編・ICUで過ごした時間> - てんてこ手帖

 

【一般病棟へ】

つらく長い3日間を耐え、一般病棟に戻れることになりました。

感謝の気持ちを持ちつつも、もうここには入りたくない……と内心では思いながらお礼を伝え、ICUをあとにします。

体調は安定しているものの、兎にも角にも痛い。

横になっても痛い。起き上がっても痛い。そのうえ、深呼吸や咳、ちょっとした動作にも痛みが伴います。

一般病棟に戻りすぐ、手術のために外していたWCD(着用型除細動器)を装着して、過ごすことになりますが、それがまた傷口に当たって痛い。

こんな状態だったので、一般病棟に戻れた安心感と、ここからどう回復していくのだろうという不安が入り混じっていました。

 

【リハビリのこと】

一般病棟に移り、その日から理学療法士の方に付き添われリハビリを開始しました。

痛みもありゆっくりではありますが、ふらつくこともなく歩くことができました。

日を追うごとに少しずつ負荷を上げ、日常生活に戻れるように練習していきます。

元々の年齢や体力があることもあり、特筆すべきことがないくらい順調にリハビリは進んでいきました。

当初の不安な気持ちもすぐさま消えて、術後なんだよね?と驚かれるくらい動けていました。

 

【シャワーのこと】

一般病棟に移った翌日、「頭を洗いますか?」と声をかけてもらいました。

術後ずっと洗えていなかったので嬉しかったのですが……これが、なかなかの試練でした。

 

看護師さんに頭を洗ってもらったのですが、洗いもすすぎもビックリするほど優しい。

洗われているというよりは、触られているという感じのソフト感です。

洗う前よりも髪が重たくなっている気がして、内心では戸惑っていました。

そのあとドライヤーもしてくれたのですが、これまた生乾き。

もちろん、看護師さんの本来の業務ではない(もしかしたら含まれるのかしら?)し、時間を取らせるのは申し訳ないという気持ちが強くて、「もっとしっかりゆすいでほしい」「もう少し乾かしてほしい」とは言えませんでした。

これまでの入院でもシャンプーができなくても痒くならなかったのに、この日から痒くて痒くて仕方がない。頭皮もかぶれてしまい、フケも出てしまいました。

もともと頭皮が荒れやすく、ここ数年でようやく落ち着き整ってきていたのに、この一回のシャンプーで全てが"無"に帰ってしまったような気持ちでした。

翌日からシャワーが解禁(1日我慢すればよかった!と後悔……)になり、自分で洗えるようになりましたが、すでに荒れてしまった頭皮は敏感で、痒みもフケもなくならず、退院後もしばらく悩まされることになります……。

 

【退院の日】

リハビリも順調、検査も問題なし。ということで、術後わずか8日での退院が決まりました。

医療の進歩はすごいなぁ、としみじみ思います。こんなに早く退院が出来るなんて思わなかったです。それを看護師さんに伝えたら、「いえ、てんてこまいさんの回復力が高すぎるんです。通常はこんなに早く退院できません」と言われてしまいました。我ながらあっぱれという感じですね。

過去の退院と同じように時間までに身の回りの整理をし、忘れ物がないかチェックしてもらいます。

毎回ながら退院はあっけなく、最終のチェックをしてくれた看護師さんにご挨拶をして、すーっと立ち去ります。

 

いよいよ、次の入院と手術で最後の入院です。

これを乗り切れば、元の生活に戻ることができる。しかし、次の手術によって変わってしまうことがある。

安堵と不安。相反する感情が静かに同居していました。

今回の治療の話は、ここまで。

次回は、3つ目の手術について書いていきたいと思います。

肺動脈弁置換手術を受けた日のこと<中編・ICUで過ごした時間>

前編では手術室に入るまでを書きました。

今回は、その続き――ICUで目覚めた時のことから、少しずつ思い出しながら書いていこうと思います。

※注)医療に関する内容は私個人の解釈と認識です。実際の意味合いと異なる場合がありますのでご了承ください。

 

(前回の記事はこちらから)

肺動脈弁置換手術を受けた日のこと<前編> - てんてこ手帖

 

【目を覚ました時のこと】

まぶたを開けると、機械音が聞こえてきます。

私は何でこんなところで寝ているんだろう?と、ぼんやりする意識の中、機械音と看護師さんたちの声を遠くに聞きながらぼーっとしていました。

どのくらい時間が経ったかわかりませんが、私の意識が戻っていることに気が付いた看護師さんに声をかけられました。

今がいつで、なぜここにいるのかを教えてくれます。そこでやっと、『あぁ、そうか。手術が無事に終わったんだな』と知ることができました。

 

【ICUでのこと】

ICUには3日ほど入っていました。

ICUは病室の区切りがなく、常に明るく、機械音が響いています。

術前に説明を受けていたので覚悟はしていたのですが、実際にその環境に身を置くと、想像以上に落ち着かないものでした。

また、PICS(集中治療後症候群)と呼ばれる心身の不調が見られることがあるそうです。
その予防として、手術の翌日からリハビリを始めること、時計やカレンダーを見える位置に置くことなどを術前に説明されていました。

とはいえ、そんなに変わりないだろうと軽く考えていましたが、これまでの治療の中で、ICUが最も「つらい」と感じた時間でした。

 

■動けないつらさ

一番つらかったのは、自由に動けないことです。(術後すぐに動こうとするな!と言われそうですが……。)

まず、手足を固定された状態で目を覚まします。これは抑制といって、麻酔が覚める過程で混乱し自分で勝手に点滴や管を抜かないための処置のようです。

元々じっとしているのが苦手な性分で、この固定されている状態というのが不快で仕方がありませんでした。

そして、ようやく朝を迎え抑制が解除されても、頭の上げ下げ一つとっても看護師さんに声をかける必要があります。

思う高さにならない、少ししてその体勢がつらくなる、枕の高さがどうも合わずに息苦しく感じる。

ベッドの固さも合わずに体中が痛く、"自由に動けない"ことで、気持ちをどんどんすり減らしていきました。

わざわざナースコールで呼んでお願いするのも忍びなく、本当にギリギリまで待ってお願いしていました。

自分の中ではだいぶ待ち、限界まで耐えたつもりではあったのですが、看護師さんたちの反応が「そんなことで」「また?」と思っているような感じがして申し訳なく、いたたまれなく、心苦しい気持ちになりました。

 

■ICU特有の環境のつらさ

24時間絶えず聞こえる機械音。看護師さんの話し声。

動けないつらさに加えて、ICUという非日常の環境がのしかかり、どんどんと不安な気持ちが積もっていきました。

特に時間がわからないことが、あとどのくらいこの状態でいればいいのか?と気持ちが沈むのに拍車をかけます。

術前の説明では、せん妄予防のために「時計やカレンダーを見える位置に置く」と聞いていました。
実際、ベッド横の机には昔ながらのアナログの目覚まし時計が置かれていました。

ところが、その目覚まし時計が――止まっていたのです。

日中はテレビをつけているので困らないのですが、消灯後はテレビを消さなくてはいけません。

そのため、夜中に時間を知る手段は、その止まった時計だけでした。

夜中に目を覚まし、時計を見ると午前一時半。

眠ろうとして目を閉じ、しばらくしてからもう一度見ると……午前一時半。

動かない時計を見た瞬間の絶望感は、言葉にできません。

翌日、我慢すべきか悩みに悩んだ末に、時計が止まっていることを看護師さんに伝え、対応してもらいました。

しかし、その日の夜もまた同じことが起きました。

なぜ電池を替えてくれなかったのか、新しい時計にしてくれなかったのか……と、思わず恨み言が浮かびました。

 

■体の痛み

これまでの入院は検査やカテーテルが中心で、もちろん楽ではなかったですが「つらい」と感じるほどではありませんでした。

だから今回も、どこかで「きっと大丈夫だろう」と油断していたのだと思います。

けれど、開胸手術はまったく別物でした。それはそうです、骨を切っているのですから骨折と同じ、大丈夫なはずがなかったのです。

何もしていなくてもズキズキと痛み、咳やくしゃみをしようものなら痛くて仕方ない。

レントゲンや着替えをするために身体を動かされる度に、思わず「うっ」と声が漏れてしまうほどでした。

 

痛みだけではなく気持ち悪さもあり、食欲もほとんどありませんでした。

口や顎も強張っていて、うまく動かせず、食べること自体もつらかったです。

それなのに「食べないのには何か理由があるんですか?」と聞かれたときは、責められているように感じてしまい、怖かったのを覚えています。

そもそも、術後で喉も痛めている人間に麻婆ナスを出すのは、どう考えてもハードルが高すぎます。一口食べてむせて、余計に傷口が痛くなりました。

 

体には点滴やドレーン、外付けのペースメーカーなど、いろいろなものが付いています。

どれも必要なものだとわかっていても、動くたびに引っ張られるような感があり、とにかくジャマで仕方がありませんでした。

そして、日中はどうあがいても眠くて耐えられないのに、夜になると不思議と眠れません。

痛みや不快感、機械音、いろいろなものが重なり、体も心も休まらない時間が続きました。

 

そんな状態でも、リハビリでは思ったより体が動きました。

「意外とできるんだ」と少しだけ安心できた瞬間です。

 

痛みや不安に揺れながらも、少しずつ体が動き始めたことで、ようやく出口が見えてきました。

一般病棟での時間、そして退院までのことは、次の記事にまとめようと思います。

肺動脈弁置換手術を受けた日のこと<前編>

今回は、肺動脈弁置換手術を受けた時のことを書いていきたいと思います。

※注)医療に関する内容は私個人の解釈と認識です。実際の意味合いと異なる場合がありますのでご了承ください。

 

(前回の記事はこちらから)

カテーテルアブレーションを受けた日のこと - てんてこ手帖

 

予定していた3つの治療(手術)のうちの、2つ目です。

①カテーテルアブレーション術

②肺動脈弁置換手術

③ICD(植込み型除細動器)の植込み手術

 

【肺動脈弁置換とは】

肺動脈弁置換手術は、機能が弱ってしまった肺動脈弁を人工弁に置き換える手術です。

人工弁には機械弁とブタやウシから作られる生体弁があり、私は生体弁(ブタちゃん由来)を入れることになりました。

この2つの人工弁の大きな違いは耐久性です。機械弁は耐久性に優れていて半永久的。一方、生体弁は10年~15年程度で再手術が必要になります。

ただし機械弁の場合、生涯にわたって血液をサラサラにする薬を服用しなくてはならず、薬の効果に影響してしまうため納豆(他にもビタミンKを含む食べもの)を食べることができません……。

本来、60歳未満の場合は機械弁を勧められるようですが、耐久性の問題が人工弁に起きた場合、カテーテルで対応が出来るとのことで生体弁を入れることになりました。

 

【入院前のくらし】

今度の入院は、前の入院から10日ほど家で過ごすことができ、のんびりと家で本を読んだり動画を見たり、これまでと何も変わらない生活です。

入院の前日、大きくなった子供たちを抱き上げました。2人とも20キロを優に超えていて、とっても重たいです。

開胸手術のため術後は重たいものを持てなくなります。その後、ICDの植え込みも控えていて、ICDを植え込んだら基本的に重いものを持つのはNGと言われています。

抱きしめることはできる。だけど、こうして抱き上げて抱っこするのは今日で最後なのか……と寂しい気持ちになりました。

 

【入院生活(手術前)】

入院の手続きが終わり、午後に夫と手術について、先述したように肺動脈弁置換手術の説明を受けました。リスクについての説明も受け、同意書にサインをします。

その時に「穴も見つかったら塞いでおくからねー」と軽く伝えられて、『私の心臓、穴も開いてたの? この先生、大丈夫かしら……』と、ちょっぴり不安に思ってしまいました。

今回の入院は循環器内科ではなく心臓外科での入院なので、初めましての看護師さんにお世話になります。同じ病院でも雰囲気が異なり、1日のスケジュールも紙で渡されしっかり教えてくれました。

手術の前の日に、麻酔についてと術後に入るICUについての説明を受けます。それでもなお実感がわかず、なんだか他人事のように聞いていました。

 

【手術当日】

手術当日、点滴と尿道カテーテルを入れられ、車イスでオペ室まで連れて行ってもらいました。

病棟の看護師さんからオペ室の看護師さんへ引継ぎが行われました。

そして、自らの足で立って歩きオペ室に入り、手術台へと上がります。

ここにきてようやく”怖い”という感情が芽生えました。しかしすぐに麻酔をされ、私は意識を失いました。

ここから先の記憶はありません。次に目を覚ましたのは、ICUのベッドの上でした。

その後のことは、また改めて書いていこうと思います。

保育園とのお別れ、新しい生活のはじまり

長男が保育園を卒園し、小学校一年生になりました。

頼りなかった背中が、気づけばランドセルを背負うほど大きくなっていて、改めて時間の流れを感じています。

卒園した保育園には丸三年、それ以前に別の保育園にも二年間通っていました。長女の頃から数えると六年間もの間、保育園にお世話になっていたことになります。

 

長女が小学校に進級してからは、送り迎えのほとんどを夫がしてくれており、私は週に一回行く程度でしたが、手をつなぎ歩きながらその日の出来事を聞く時間は、いまでも大切な思い出です。

生活の一部であった「保育園」とのお別れは、やはり寂しいものです。保育園の存在は子どもにとってはもちろん、親にとっても成長と人との交流が生まれる特別な場所でした。

そして、いつも子どもの成長を見守ってくれていた先生方には、いくら感謝してもしきれません。

朝の「いってらっしゃい」、帰りの「おかえりなさい」に気恥ずかしさを覚えながらも活力になっていました。

 

長男は今月から学童に行きはじめ、無事に入園式を迎えました。毎日楽しそうに通い、「こんなことがあった!」と楽しそうに話してくれます。

環境が大きく変わりながらも、前向きに頑張っている姿はたくましくなったなと、成長を感じることができます。

期待も不安もいっぱいですが、新しい環境への一歩を見守っていきたいです。

そして、子どもが前に進むのと共に、私たち親もまた一緒に成長していけたらいいなと思います。

カテーテルアブレーションを受けた日のこと

今回は、カテーテルアブレーション術を受けた時のことを書いていきたいと思います。

※注)医療に関する内容は私個人の解釈と認識です。実際の意味合いと異なる場合がありますのでご了承ください。

 

(前回の記事はこちらから)

退院から検査入院へ。そして決まったこと - てんてこ手帖

 

予定している3つの治療(手術)のうちの、1つ目です。

①カテーテルアブレーション術

②肺動脈弁置換手術

③ICD(植込み型除細動器)の植込み手術

 

【カテーテルアブレーションとは】

カテーテルアブレーションは、不整脈の原因となる電気の乱れが起きている部位を特定し、カテーテルから高周波エネルギーを当てて焼灼。異常な電気信号が流れないように整える治療です。

 

【入院生活】

約3週間ぶりの病院です。同じ病棟、同じ病室(ベッドの位置まで同じとは…!)。

看護師さんとも顔なじみになっていたので、「久しぶりー、元気だった?」なんてやり取りが出来るほど緊張感もなく、検査もカテーテルの日まで特別なものはなかったので、本を読んだり映画を見たり、穏やかに過ごしていました。

そうはいっても、いざ明日がカテーテル…となると緊張し、ほとんど眠れずに朝を迎えました。

 

【カテーテル当日】

カテーテル当日、点滴と尿道カテーテルを入れられ着圧ソックスを履き、ストレッチャーに乗って処置室(カテーテル室?)へ連れて行ってもらいました。

処置室でWCD(着用型除細動器)を外し、電極パッドを背中や胸元に貼り付けられ、処置中に誤って手足を動かさないように固定されていきます。

今回も局所麻酔での処置です。足の付け根をぐいぐいと押され、首の時より痛くないかも?なんてことを考えていました。

 

まずは、異常部位を特定(心室頻拍を誘発)するための検査が行われます。

小さな電気刺激を与えられるのですが、心臓のあたりでピクピクする感じや、血管の中を何かが行進しているような感覚がして、とてつもない不快感が…。

動けないつらさと息苦しさ。何度も時計を見ては心の中で「早く終われ~」と思っていました。

 

1時間半…か2時間ほど検査を続けても不整脈は起きず、先生から「脈拍を早くする薬を入れます。異常が起きなくても、これで終わりにします。」と告げられました。

カテーテルを行っても「異常が起きない」ことは、案外起こることらしいです。

薬のせいか今まで感じたことがない動悸がしました。いっそう息苦しさが増す中、あまりにもつらく「眠ってしまいたい」と思い、目を閉じました。

 

次に目を開けた時、検査は終了し片付けをしている看護師さんの姿が目に入りました。本当に眠ってしまったようで、もっと早くから寝てたかったな…と思いながらぼーっと眺めます。

私が起きたことに気が付くと、先生に「途中で寝たのは覚えてますか?」と声をかけられました。そして…

「心室細動が起きたので電気ショックを行いました」と告げられました。

一瞬、何を言われているのか理解が追いつきませんでした。

 

【カテーテルの結果】

今回のカテーテルでは、心室頻拍は起きず、異常部位を焼くことはできませんでした。

ただ、刺激の届かない場所に異常がある可能性があるとのこと。

さらに検査中に心室細動が起きてしまったため、ICD植え込みの必要性がより強くなった、という結果でした。

 

心室頻拍の可能性はそのまま残り、心室細動の原因もまだ見えないまま。

すっきりしない結果ではあったけれど、ひとつひとつ進んでいくしかないんだな、と感じた体験でした。

今回の治療の話は、ここまで。

次回は、2つ目の手術について書いていきたいと思います。

悩みながら付けるヘルプマークのこと

今は手術のことを書いている途中なのですが、明日からヘルプマークを付けて外出することになったので、今日はその話を少し書き残しておこうと思います。

【ヘルプマークについて】

ヘルプマークは、外見からは分かりにくい障害や病気、妊娠初期などで支援や配慮を必要としている人が、周囲に気づいてもらいやすくするためのマークです。

2012年に東京都で配布が始まり、今では全国に広がっています。

ヘルプマークは対象の幅が広く、障害者手帳や医師の診断がなくても、「支援が必要だな」と感じていれば使うことができます。

【いいところ】

・困った時に助けを求めやすい

・災害や緊急時に役立つ

・心理的な安心感がある

 

【むずかしいところ】

・プライバシーの問題

・誤解や偏見を受ける可能性

・「今」どんな支援(配慮)が必要なのかが周囲には伝わりにくい
 (ヘルプマークだけでは、具体的に何を手伝えばいいのかまではわからない。)

 

【付けるべきか迷った理由】

ヘルプマークを付けるべきかどうか…実は、しばらく悩んでいました。

「ヘルプマーク=支援や配慮を必要としている人」というイメージがあって、今の私自身は"助けてほしいこと"が特にあるわけではないからです。

それと、席を譲ってほしいと思われたり(ネットでそういう声をたくさん見かけてしまって…)、「あんなに元気そうなのに?」と思われるのも怖くて、そう思うとどうしても尻込みしてしまいました。

 

【それでも付けることにした理由】

「助けを求めていない自分」は、今の自分と同じ状況なのか?と考えてみました。

そう思って改めて体の状態を振り返ってみると…

手術の影響で胸や肩回りに痛みがあり、左腕に関しては肩よりも上に腕を上げることができません。

さらに、人とぶつかってICDに衝撃が加わることも怖い。

 

いや、でも、だって…と迷いながらも、

実際に公共機関を使ってみて「やっぱり必要かもしれない」と思いました。

思っていた以上に人との距離も近く、つり革が持てず、ポールにも手が届かなくて、危うくバランスを崩しそうになりました。
(悲しいかな…身長が高いのでポールを掴んでいると、ジャマだと言わんばかりに睨まれました(笑))

その時、「助けてもらうため」ではなく「自分を守るため」に。

また、「何か事情があるんだな」と気が付いてもらうきっかけにするために。

私は、ヘルプマークを付けようと決めました。

 

きっと最初は気になってしまうと思うけれど、今の自分を守るためのひとつの工夫として、明日から付けてみようと思います。

そしてヘルプマークにだけ頼るのではなく、必要な時には「助けて」と言える自分でいたい。

誰かが困っている時には、「どうしましたか」と手を差し出せる人でもありたい。

そう思いました。

 

数か月後に身体が回復したら、カバンの外には出さず、お守りとしてヘルプカードと共に、そっと忍ばせようと思っています。